~寝てりゃなおんじゃねーの?~医学生の日記

2007年8月31日金曜日

「おお、闇の偉大なる主よ、この生贄を受け入れたまえ」

なんてのは手術室で聞きたくない一言のひとつである。

正直に言うと病院にいくということはガタガタ震えるような、恐れるべき、悪夢のような経験なはずである。簡単に言ってしまうと患者は赤の他人に生命を渡して「はい、私はあなたが反社会性人格障害者で三回の離婚歴があって三種類の抗鬱剤を飲んでいることを知らないけれど私の幸せと人生を手に預けます」といっているようなものである。仮にあなたがそれを言ってその医者を信用したとしてもあなたはその医者が何を実際やっているのか知らないので簡単な頭痛かもしれないのに、医者はあなたのことをわけの分からない病気と診断して手術室に送るかもしれないのである。

てこんなことを言ってあなたのことを震え上がらせたあとで(だって私も反社会的で離婚歴があって三種類の抗鬱剤を飲む医者と言う人口の一人になるんだからしょうがないでしょう)私は次のリストでこの書き込みを終わらせたいと思います:

手術室で聞きたくない十の独り言:

1. 「心配するなって。十分鋭いはずだぞ。」

2.「おい、看護婦、この患者はドナーカードをサインしたか?」

3.「しまった!マニュアルの84ページが抜けてる!」

4. 「みんな下がって!コンタクトレンズが外れてなくなっちゃった!」

5.「その…なんだっけ…それ渡して。」

6.「それとっておいたほうが良いぞ。死体解剖に要るからな。」

7.「おお、闇の偉大なる主よ、この生贄を受け入れたまえ。」

8.「ちょっと待て。これが脾臓ならあれは何だ?」

9.「今腎臓って高く売れるんだぜ。それがこいつは二つもあるんだ!」

10. 「え、離婚したい?どう意味だい、それ?」

将来の夢

子供の時には沢山夢があったように思う。私だけではなく、一般的に子供時代は夢も希望もあり、なんでも可能だったようだ。悲しいことに年を取るにつれて、だんだんその夢はシャボン玉が消えるように消えていき、最後にやりたくないことをやり、見たくないものを見て生きている自分を発見する。やりたい事もないし、欲しい物もない。そんな人間はどうやって生きているのだろうか。

私の場合、ずっと一途だったような気がする。私は三歳のときに医師になると決め、ずっとそれに向かって走ってきた。考えてみると読む本も、やる事も、聞く事も話す事もすべて医師になるためだったように思えないでもない。もともと私は性格的に医師には向かないのだ。ぼんやりしていて決断力がない子供。頭の回転も速い方じゃないし腹が据わっている訳でもない。医師は決断力、頭の回転の速さ、などが要求される。あのままいっていたら文学部にいきたいと思っていた事だろう。また成績も抜群に良かったという訳ではないだろうからなれなかった可能性大なのは一目瞭然である。

でも私は何を間違ったのか医者になりたいと思ったのである。私は医者として必要な素質を持ち合わせていなかった。それでは自分を変えるしかない。そこで私は自分を変えていった。ゆっくりと動く自分から早くて目的を決めてそれに向かって戦車のように進んでいく自分に変えたのである。目的のためならコストをいくら払っても物怖じしない自分になろうと思った。

高校四年生の時はかなり辛かった。私だけまだ受験中だったのでほかのクラスメートがダンスに行ったり、映画に行ったり遊んでいる時に私は問題を解いていたのである。友達はどんどん消えていくし夏休みは夏休みでみんなが遊んでいる時に私は夏期講習を受けていた。考えてみるとこの夏休みは私にとってはじめて何もしなくて良い、本当の夏休みである。そしてたぶん最後になるだろう。私の受験はまだあるのである。

そんな時に簡単に医師になれると思っている人を見ると腹ただしく思ってしまう。私はクラスメートや友達よりもコストを払ってきたのだ。みんなが遊んでいる時に私は机で問題を解いていたのだ。遊んでいるやつと勉強した私が同じ所に行ったら私の払ったコストはどうなるのかさっぱり分からない。

ありがたいことに神様はいるらしく、遊んでいたやつはろくでもないことになった。学費を払う為に若い十八の美空で一千万の借金を抱えたり、聞いたこともないような学校に行ったのだ。

欲しい物が大きければ大きいほど、思い付きでは手に入らない。私の学年で医学部にいったやつはもう高校一年で医師になるということが心の中で決まっていた。それだからこそ準備ができたのである。

ちなみに医師になる道は長い。計算してみたら私が思い通りのところに行くまでにあと17年ある。17年といえば私が生きてきた年月である。五つのとこに学校に入ったからまだ半分も行っていないのである。

2007年8月27日月曜日

グリンチさん=ブッシュさん?

昨夜変な夢を見た。レノの夢ほど変ではないが、やっぱり変な夢であった。

私は大学から帰省する所でオヘアに降り立ったところであった。飛行機から降りてゲートのほうに何気なく歩いていくとガードにとっつかまったのである。

「なぜここに来たんだ?」と彼は聞いた。

「何でって…クリスマスだから帰ってきたんですよ。」

するといきなり「君は今から逮捕される。沈黙を守る権利はある。」

「え…え…ちょっと待って!」

どうやらブッシュ大統領はクリスマスは自分だけが祝えば十分だと考えたらしく(ちなみに読者の中で私は寝る前にあの絵本の”どうやってグリンチがクリスマスを盗んだか”を読みすぎたんじゃないかと思っておられる方もいるかも知れないがそうではない)議会でブッシュ大統領からサインつきの許可証を持っていない限りクリスマスを祝うのを犯罪にしてしまったらしいのである。私はクリスマスを祝うために帰ってきたのだから逮捕されたわけである。

私は泣き出した。

そして起きた。

注:”グリンチさん”というのは”どうやってグリンチがクリスマスを盗んだか”という絵本に出てくる主人公・悪者で町からクリスマスを盗んでしまったゴブリンである。

2007年8月26日日曜日

医学部進学、どうやって?

このブログを読んでいる方々の中には(そんな人間いるの?)医学部志望の人もいるかもしれない。そんなマゾキストのあなたのために!私がどうやって入ったのかをお教えしましょう。

そう、医学部に行きたいやつは二通り。一人は自分のことをいじめたくて入るマゾ、もう一人は人をいじめたくて入るサドである。

それはおいといて…

日本は一番はっきりしている。大学入試で点数をクリアすれば誰でも入れる。どうやってクリアするのか?それは勉強しかないでしょう。どうやって勉強するかは貴方次第。読んで覚えてしまう方もいれば、書かないと覚えない人もいるし、読んで書いて解いてやっと覚える人もいる(これは私です)。これだけは誰も教えてくれない。勉強の仕方を探すのも勉強である。

アメリカでは?これはもうちょっと不確定要因が多い。まず、読んだところによると大抵の医学部はアメリカの大学で四年生を終了している事を要求する。あとMCATでいい点数は必須。面接も受けて通らなければならない。もちろん面接は英語なのでかなりのレベルを要求される。あとTOEFLも必要になるだろう。エッセイも書かなければならないし…これだから受け入れるという条件はないので審査員が貴方のことを気に入ったら入るし嫌われたらそれまでである。

イギリスはというと…まず英語はある程度のレベルはなければならない。まずUCASで願書を出し、それからテストを受ける。そのテストである点数以上をとったら(その足切点数は何点かというと…分かりません。発表されなかったので。)面接である。この面接は貴方がどのくらい医師と言う仕事に思い入れがあるかということと性格的に貴方が医者に向いているかどうかを見られる。正しい答えはない。だからなぜ貴方は医者になりたいのか、本当に性格的に向いているのかよく考えて受験したほうが良いだろう。それからもし受かったら「この点数をこのテストで取ったら入れてあげます」という手紙が来る。その条件をクリアしたら初めて合格である。(ちなみに私の合格が決まったのは七月の初め、落ちていたら浪人である。)

まあ、どこの国に言っても過酷な道である。競争率も激しい。徹夜と寝不足は付き物になる。グレイズ・アナトミーでクリスティーナが「医者って自分のことを神様だと思っているワーカホリックよ」と言っていたが見ていて本当だと思う。

それでも医師になりたい人は…頑張って下さい。